2011/03/13

日本は美しい。 いままでもわかっていたけれど、これほどまでにとは。





私がモットーのように、
常々思っている事。


「普段はどうあれ、
 いざと言う時に頼りになる人である」と言う事。


その事は、だらしのない父なら、大黒柱足らしめるだろうし、
経営者なら、あれこれ口さがないスタッフを黙らせる。


人は、みな、
欠点を持っている。


怒りっぽい、だらしない、無責任、わがまま、
心が弱い、流され易い、冷たい、意地が悪い、
お酒に飲まれる、悪癖をやめられない、
盗み癖、浮気癖、遅刻癖。


数え上げたらきりがなく、
誰でも、何かしらの欠点を持って、
自分を責め、人を責めながら、
生きている。


完璧な人など、いるのだろうか?


とにかく、
自分の周りの人を、
欠点も含めて愛し、愛されながら、
不満ももちつつ、
なんとかやって行くのだ。


でも、
私が好きなのは、
そんな欠点のある人でも、
いざと言う時、
一生に何回か、
突然思っても見なかった底力を発揮する時。


普段、だらしなく酔って、
お腹をかきかき寝てしまうような人が、


誰かが本当に困っていると、
スッと静かに立ち、
当たり前のように自分が盾となり、
問題に1人立ち向かい、
困っている人が泣いている間に、
さっと解決してしまう。


いつも、自分が自分がと言っているはずの人が、
なにか大変な事が持ち上がると、
なんの未練も無く自分を捨てて、
人の為に立ち上がる。当たり前のように。


そして、
悪条件に耐えて耐えて、
更に悪い事が降り掛かっても、
また耐える。
たんたんと、クールに。


美しくあきらめる事が出来る反面、
密かに希望を持つ事が出来る謙虚。


大声を出して痛みや不満を訴えない。
歯を食いしばって耐える事を美徳とする。


そんな瞬間、
今までの人生の欠点が、
すべて吹き飛んでしまうほど、
その人は静かに上品に、輝いている。


それは、思うに、今の被災地の人々であり、
救助に当たる人々である。


外の国の人々が、
賞賛し、まねが出来ないと言ってくれる、
それが日本人の品位であり、
善良なところ。
また、当人達がそれを
「あたりまえのこと」と軽く言ってしまうところが、
なお美しい。


日本は美しい。
いままでもわかっていたけれど、これほどまでにとは。








補足:
でも、
なにはともあれ今は、
救助、安否、食、暖、トイレ、情報、清潔、精神的肉体的な安らぎ、
こっちが大事ですね。
きれいごと言ってる場合じゃありませんが、
本当の事書いただけです。


周りは何かしたいと思う。
けれど、そんな自分の気持ちにそっと耳を傾けると、
「自分の満足の為に、何かしたい」となってはいないだろうか?
私はある。なってる時が。


被災地の方が、本当にして欲しい事を、
必要な量だけ出来たらいいけれど、
なかなか難しい。


食料が不足、と言えば大量に送られ、
過剰になり、捨てられる、
という例もあるのだ。


ここでも、冷静で勤勉な日本人であることを生かして、
どのような支援が良いのか、
考えどころである。


すぐ出来て、間違いないのは、
確かな所への義援金寄付だろう。


今も、これからも、
莫大な予算が必要なのはわかっているから。
被災者側にはもちろん、救援側にも。


救援者だって、
栄養のある物ちゃんと食べて、
休憩もして、なるべく良く寝て、
パワフルに救援活動したらいい結果がでるだろう。


さぼってやろう、と、さぼって居る人は1人もいない。
放心状態で座り込む救援隊の人にも、
背中を抱きしめて、
お疲れさまありがとうの気持ちを贈りたい。


twitterでも、
地震後に、おもしろおかしくつぶやく人や、
平常通りにつぶやいて批判されている人もいる。
口には出さないが、
被災地の人を励ましたい、いつも通りにつぶやいて、
いつもの安心感を届けたい、
いつものネタで笑って欲しい。と考えてのことだと私は思う。


そんな不器用な善意のある人がたくさんいる。
また、それは勇気のいることだ。


善意のリツイートが迷惑になる事だってあるのだ。
良いか悪いかは、
被災地の人が決める事であって、
twitterのなかで小競り合いすることではない。


その根底に愛があれば、
それは伝わる。


だって、日本人なんだから。


  

0 件のコメント:

コメントを投稿