2011/01/31

即座に記憶に刻み込むべきもの



しばらく前の話です。
少し遠い親戚の伯父さまが亡くなった時のこと。


お通夜のお手伝いに駆けつけて、
精一杯動き回った。


来る人来る人に丁寧に頭を下げながら、
お茶とお菓子をお出しして、
帰られた方のお湯のみを速やかに下げて、
たまったお湯のみを洗い、
お茶の葉やお菓子を補充する。


単純な作業のようでいて、
目配りをおこたれなく、また
不慣れな状況でかなり気を張っていたので、
ありがたい事に、
悲しみを再確認する暇もなく、
その日は泣いたりせずに役目を終える事が出来た。


身内は、もしお通夜やお葬式が無ければ、
悲しみのあまり起き上がれずに、
部屋にひきこもって泣き暮らすところだが、
幸いこの忙しい式典のお陰で、
かなり気持ちを紛らわす事が出来るようだ。


翌日はお葬式。
水墨画が何枚も飾られたロビーで受付等を手伝った後、
葬儀が始まったので参列。


寡黙でおだやかで優しかった伯父様の事を考えているうちに、
やっぱり涙が出てきて、
立派に耐えて喪主の席に背筋をのばして座っている伯母さまを見て、
どんなにか辛いだろうにと涙が出る。


出棺の前に、
最後に伯父様に会う為、親しい人達とお棺を囲んでいるとき、
伯父様が師事していて伯父様よりご高齢の絵の先生が、
突然激しくおえつして
「お前にはまだ免状をやってないのだ!」と悔しそうで、
立っているのもつらそうでした。


誰かが亡くなって思う事。
私は愛し合った人よりも長生きしてあげよう。
残される人はつらいから。


ロビーでしばらく過ごす時間があり、
壁の数々のすばらしい水墨画や書を見ていたら、
作品に押してある落款がふと気になった。


伯父様の名前と同じ
「宗」の字が見える。
突然わかった。
この素晴らしい作品はみな、
伯父様が書いたもの。


達筆なのは前から知っているので、
書はわかる。
でもこのあたたかい水墨画は、
いつのまに?


寡黙だった伯父様は、
ひとことも何かを自慢したりしなかったし、
自分の事を話さなかった。
絵を習っていた事も、
先の先生をお見かけして、
初めて知ったのだ。


水墨画は、
上品で立派で激しい虎の絵
伯父様の好きなSLが山間を走る様子
旅の僧と子供と雀の絵
ある村の細かい描写の景色
さびれた山小屋と滝のある風景


そして私が一目で大好きになったのは、
お軸に縦長に描かれたあたたかい画。
深い山々の間にある深い谷に、
細い吊り橋が架かっていて、
橋を、笠を目深にかぶり、
うつむき加減に黙々と渡っている旅人。


その旅人のやさしげなたたずまいや、ストイックな感じ、
家で待っている家族の為に黙々と、
文句も言わず歩くそのイメージが、
まるで伯父様そのものだな、と感動したのは、
葬儀で感傷的になっていたからではない。


私は、珍しくのどから手が出る程そのお軸が欲しくなったが、
もちろん伯母さまの大切な、身体の一部のようなものであろうし、
くださいなどと言えるはずも無いことぐらい心得ているので、
即座にその水墨画を記憶に刻み込んだ。


伯父様、ありがと。
素晴らしいものを頂きました。
たまに記憶の倉庫から出したりして、
一生大切にします。

栗色の髪



雪深い北半球の国。
雪が輝く晴れの日。


雪かきなどの作業を切り上げ、
暖かい暖炉のある部屋に息を切らせながら2人で戻り、
マフラーや手袋、
コートやジャケットなどつぎつぎに脱いで、
ニットの耳当て帽を取ると、
柔らかな栗色の髪が香る。


何かの話題で、
2人おなかをかかえて笑い合い、
暖炉の前のソファーに、もつれ込む。


少し距離を置いていたクールな猫も、
ソファに上がり、
当然のように2人の間に陣取る。


しばらく笑い合っていた2人は、
ふとした沈黙に見つめ合い、そっと触れあう。


人々の追い求める楽園は、
いつもそこにある。
キャッチしないと気付かぬままに消えて行く。


栗色の柔らかい髪の香り。
そっと触れるときの甘いとまどいの気持ち。
触れられるときに思わず出てしまいそうになるため息。
輝く雪景色。
暖炉の美しい炎。
1人で生きているような顔をしながらも、
膝に乗って来る猫。


すべてに楽園が宿っている事に、
気付いて。

右手と左手をつなげると



右手と左手をぴったり合わせる合掌や、
指を組み合うお祈り。


そうして右手と左手をつなげると、
自分の気持ちに集中してくる。
そして自然とその手は
額か顔か胸の前にきて、
ますます気持ちが内に内に入って来る。


逆に何かを強く思う時に、
気付くと手を額の前で組んだり合わせたりしている。
なにか、理由がありそうだ。
「気」とかに関係あるのかも知れない。
根拠はないけれど。




生まれ育った家が、
国際キリスト教大学のすぐ近くだったので、
大学内の「キリスト教幼稚園」に通った。


クリスチャンではないのですが、
母曰く「近かったから」


その中で、
右手と左手を組み合う「お祈り」を
何度となくくりかえした。
幼児向けのやさしい言葉で、神様に毎日感謝をする。


ただ、そこまで厳格な幼稚園ではなかったので、
お祈りはお食事の時だけだったと思う。
いただきます、の前にほんの少しのお祈り。


私はよくいる日本人の典型で、
宗教観が甘い。


お仏壇のある所やお寺さんでは、
仏式のご挨拶を心を込めて。
神社に行った時は神社のしきたりで。
教会に行く機会があれば、やはり同じく心を込める。


でもどの場面でも共通しているのは、
報告して感謝すること。
お願いごとはしない。


神様に感謝、仏さまに感謝と浮気する代わりに、
お願いごとはしない。
良いこと、悪い事、悲しい事、嬉しい事、最低な事も、
報告して感謝する。それだけ。
だから私のご挨拶は、短い。
心を込めて。


あ、ウソを言った。
おばあちゃんの事は、たまにお願いする。


おばあちゃんが健康で、しあわせでありますように。

2011/01/30

水泳について



泳ぐのが好きです。


真夏日に美しいプールでたった1人泳ぐのが理想的。
もしくは愛する人と2人だけで。


もぐって水中から見る外の景色も好き。
景色がきらきらと輝いていて、
自分の人生も輝いていると感じるあの瞬間。


静かに背泳している時に聞こえる、
自分の息づかいも好き。
聞いているうちに集中して来て、
安心する音。


クロールはしぶきを極力あげない泳ぎ方が好き。
滑らかに滑るように泳ぎたい。
気付いた時には獲物の背後まで来ている強い獣のように、
水面を静かに移動する。


潜水で泳ぐのが好き。
呼吸の限界まで自分を試すのも快感。
潜って行く時の腕が水を掻く、抵抗の感覚もいい。
潜りきって
プールの底に身体が付く程低い位置を泳ぐのが好き。
潜ってしまえば、底を滑るように楽に泳げるので、
魚になった気分。
呼吸が限界を迎え、
水面に顔を出す時の開放感も素晴らしい。


プールの中は「静けさ」のふりをしているが、
感覚を切り替えると
母の胎内に居た時の音がずっと聞こえている事に気付く。
そしてしばらくそれに聞き入るのも、
とても好きです。


泳いだ後プールからあがって、
身体を拭いて服を着ると、
けだるさが心地よく、
真夏日にもかかわらず、
着た服が身体に暖かく、包まれているような安心感と、
身体から毒が抜けて軽くなったような感覚。
そう言う感覚もとても好きだ。

2011/01/29

9ヶ月前のある日



9ヶ月前まではアルコールをよく飲んだ。
毎日と言える程飲んでいた。
仕事から帰ると、
キッチンでとても美味しく飲む。
料理しながら飲むのが好きだった。
これがキッチンドランカーって言うの?
と思う程、ほぼ毎日。


でもアルコール中毒でもなければ
酔いつぶれたりするわけでもない。


もともと強いので、
飲んでもいつもより少し陽気になるかならないか程度。
絡んだり、喋り過ぎたり、ふらついたり吐いたりもしない。
ただ早いペースで、大量に飲むだけ。


そして9ヶ月前のある日、
突然思った。
「酔ってる自分、いやだ。自分じゃないみたい。
 私の人生にアルコールはいらない。」と。
そしてその日から飲んでいない。

2011/01/28

絶妙なカーヴ



靴が好きです。
ナチュラルなデッキシューズから
ラグジュアリーなハイヒールまで。


もちろんスニーカー大好き。


ぺたんこな雑貨系のかわいいのも好き。


トラディショナルなブーツは最高だし、


メンズっぽいワークブーツもかわいい。


ゴージャスなミュールは飾っておきたい。


ストラップパンプスはおばあちゃんになってもつきあいたい。


はやり物のブーティーを履きこなすのも楽しい。


オックスフォードは信頼出来る。


オープントウのウェッジは清潔感にあふれてる。


アンクルストラップはセクシーでお気に入り。


本来靴と言う物は、
文明の発展と共に、裸足で走り回る事が危険な環境になり、
人間の足を守る為に生まれた物だと思う。


それが今ではこのとおり。


足を守るはずが、
ゴージャスなピンヒールなど履けば、
一日苦痛がつきまとう事もある。
それでも女性に生まれたからには、
芸術的に絶妙なカーブを描いたハイヒール、
履かずにいられない。


それは足を守る物と言うよりも、
自分の中に普段押し込めている、
官能を少しだけ解放する道具である。



記憶



物心ついた時から、
バレーリーナになりたい、
と思っていた。


小さな頃、お姫様を夢見る感覚。
何を見てそう思ったのかは覚えていないのだけれど。


覚えていない?


今これを書いていてふと、
今まで見た事の無い記憶の映像が、
突然頭に浮かんで来た。


本物の記憶なのか、
夢の記憶なのかはわからない。


それは叔母の家で
レーザーディスクだろうか?
何かで白鳥の湖の映像を見ている所。


青くしずんだ舞台で、
真っ白なチュチュを来たプリマドンナが、
悲しいオーラで震えるように踊っている映像。


小さな私は、
それを見て雷に打たれたのだ、
と言うイメージを、
その記憶の映像は私に伝えたいらしい。


記憶ってとても不思議だ。
一度見たり、経験した事は、
必ず一度は記憶される。


それをすぐに取り出せば、
「覚えている」と言う事になる。
取り出そうとしても出てこなければ、
「忘れた」事になり、
一度も取り出さずに月日が経ち、
ある日突然難なく取り出せる、
と言う経験を、
今私はしたのかも知れない。


またこの記憶が夢の記憶だったとしても、
それも不思議だ。


夢は殆どが記憶の処理作業なので、
夢自体を強烈に覚えている事は殆どない。
覚えている夢は物心ついてからの物で、
それ以前の小さな頃、
自分でも覚えていない時期に見た夢を、
思い出せるはずがないのでは?


もう1つあった。
やはり物心つくかつかないかの小さい頃。


お隣の家は高齢のおばあちゃんとその息子が、
広い敷地内に2人で住んでいた。
その庭の一角に大きな池があって、
そこまでは事実と合致している。
その池の向こうに鹿が立っていて、
こちらをじっと見ている。
私はおどろいてすぐ家に戻り、
母やおばあちゃんに
「○○さんの庭に鹿がいたよ!」
と報告している記憶。


鹿がいるわけがない、
と前提して、
この事自体が夢だったのか、
鹿自体が何かの見間違いだったのか、
すべて事実だったのか、
今はもうわからない。


わからなくていいのだ。
人体のやってのける事のすごさと、不思議を
私は思う存分味わって、
わからないままにして好奇心をじらしておく美しさも
好きだ。

2011/01/27

枕草子 "LushSplushの場合"

春は午後
春風に乗って緑が薫って来る。
髪を風になびかせて草原に立てば、何も怖い物は無い。
どうしてか心が踊り、
あの人の事を考えると、
スカートをはためかせて走り出す。
もう止められない。


夏は早朝
すがすがしく、まだ冷たい清潔な空気。
これから暑くなる予感の蝉が、もう鳴き出す。
暗いキッチンでよく冷えた水を、のどをならして飲めば、
外はすぐに暑くなる。
燃えるような緑、青すぎる空に白過ぎる雲。


秋は夜
夏の暑さが落ち着き、
冷静に自分の気持ちを整理する夜。
鈴虫がそれを助けてくれる。
少し落ち着いて自分を見つめてみる。
心の奥にある炎を見つけて
慌てるものの、
綺麗な空気に心が洗われ、
高い空に気持ちは自由に飛び立つ。


冬は朝
毛布の魔法でベッドから出られない朝も、
窓の外に雪を見ればすぐに飛び起き、
窓に駆け寄る。
顔が輝き少女に戻る。
暖かいミルクのマグカップを両手ではさみ、
ストーブを点けて暖まるまで炎を見つめ、
あの人の事を考える。
外に出れば身を切るような冷たい空気も、
心地よい。
コートの襟を立てて
靴の音も軽快に歩いて行く。

2011/01/26

私にこの人生をくれた人へ

小説家には書けない時期があると聞きます。
小説家を職業としていれば、
それはプレッシャーでもあり、
苦しくもどかしい事ではないでしょうか。


こんな私でも書けない時期がありました。
それは昨日です。
偉大な小説家にしてみれば、
鼻で笑うような事ですが、
昨日は参りました。


いつもはすぐ糸の端がひょこっと飛び出して、
それを引っ張るとするするとお話が湧いて出て来るのですが、
昨日は書きたい書きたいと思えども、
何も出てこない。


あげくの果てに、今までevernoteに書き貯めてある在庫を
1つ引っ張り出して来て
修正しながらさんざん書いてから、
「やっぱり今ここに載せる話じゃない」と感じ、
いろいろ悩んでいる間に、
キーボードに手を置いたまま寝てしまいました。


昨日は身体が疲れていましたが、
書けないのはそのせいでしょうか?
でも何かのせいにして自分で限界を作るのはいやです。
それに疲れていると、
神経が研ぎすまされる事もあるので、
疲労のせいでは無いと思うし。


とにかく、書けない。
それでいい、と開き直り、
今朝新たな気持ちで、パソコンに向かってみた。
でもやっぱり、書けない。
こんなに書きたいのに。
私の中は空っぽに近い。


そして休日の2度寝はしたく無い方なのですが、
どうにも体調が優れず、
どうせ書けないし、
思い切ってベッドに入りました。
数秒で眠りに落ち、
こんこんと眠り続け、
目覚めた時私は
「書ける私」になっていました。


すぐにベッドの上で膝にパソコンを乗せて
一気に書きました。


長い髪を風になびかせて走る心地よさ。
暑い夏の日美しいプールで魚になって泳ぐ心地よさ。
他の車がいない初夏の並木道で少しスピードを上げてみる心地よさ。
そんなイメージに包まれて
一気に書いた。
それが先の「とりとめのない話」です。


そして小説家になると言う事は、
書けないつらさを本格的に経験する事を受け入れる覚悟をする、
と言う事なのだと今日思った。



私にこの人生をくれたたくさんの人達、
ありがとう。

とりとめのない話

ルネッサンス様式、石造りの大きなデパートやホテル、
立ち並ぶ商店やレストラン一軒一軒は、
ヨーロッパや北欧の雰囲気で、
どこもきらきらと磨き抜かれており、
中をのぞけばクリスマスのように
暖かく美しく輝いている。

高い建物があまり無く、
空が広い。バニラスカイ。
そう遠く無い位置に
おだやかな海の水平線と、
真っ白な大きな帆を満帆に張った何隻もの巨大なヨットが見える。
素晴らしく美しい街。

時は昼と夜の間、薄明るい夕暮れ時で、
何もかもが美しく輝き出す時間帯。

大きな古い石造りのデパートは
通りから広い階段を登りきった所が1階部分で、
私がデパートから出ようと通りを見下ろすと、
視界がかなり広く開けて、
一人の男性が媚びるように私を見上げながら登って来た。

私は美しい世界の息をのむ光景を、カメラで撮影するのが忙しく、
彼を気にも留めなかったが、
通りの2人の、何か打ち合わせ中のドアマンを中心に、
カメラの構図を整えていたら、
画面の中にその男性が割り込んで来たので、
カメラから顔を上げて、
撮影を一旦中止しなければならなかった。

するとその男性は天使のような甘い笑顔で
「ステキですね、カメラですか?良かったら貴方のアドレス教えて」
と来た。
いままで何人ものアドレスを難なく聞き出して来た自信に
笑顔が輝いていた。

「ごめんなさい。今そこを撮影しようとしていたんです」
少々冷たく言い放ち相手が察したかどうか
顔色をじっと見る。
彼は私の無言の拒絶を察して、
あっさりと落胆。私の視界から消えて行った。

私は石造りの階段をゆっくりと降りながら、
被写体を求めて通りを見回す。
どこを見ても美しい。
古いものを大切に管理して来た、
上品な町並み。

私は水平線にヨットの見える方角に興味があり、
ついそちらの方へと歩いて行く。

空は目の覚めるようなブルースカイではない。
くりかえし言うが、バニラスカイだ。
上品で、優しく、明るい空。
見ていると時間の感覚が失われてしまう、
そんな色の空。

石畳の道をヌードカラーのヒールでこつこつと、
ゆっくり歩いて、
通りの店一軒一軒を眺める。

あるビストロでは重厚なマホガニーの店内で
白髪の美しい夫婦が、
孫らしき少女にくまのぬいぐるみをプレゼントする瞬間であり、
キャンドルに、少女の上気した頬が輝き、
これ以上無い天使の笑顔

それをあたたかく囲む老夫婦も、
とてもしあわせそうで、
思わず私はカメラを構えた。

「写真を撮らせて頂けますか?」と尋ねれば、
この美しい瞬間を撮る事は出来ない。
二度と同じもののない瞬間。

でもしあわせな時間を、
見ず知らずの者に無遠慮にカメラを向けられて、
いい気ははしないだろう。
暖かい空気も冷えてしまう。

そのように迷っていたら、
目が覚めた。


ゆうべの私の夢です。

2011/01/24

ほお紅

朝めざめが良く、起きるなりまず考える。


朝の身支度も不思議と上手く行き、
肌を出す大胆な服も着てみたくなる。
スカート丈をもう少し短くしていいかも?
なんだか自分がきれいになったような気がする。


仕事中の私語が減る。
考え事するから。


ランチ食べる量を控える。
まず、食欲が無い。でも苦痛じゃない。
そして考える。


自分が研ぎすまされる感覚、少々の胸の動悸。
ため息が心地よい。
でまた考える。


仕事もてきぱきとこなし、
夕方家に帰り着くと、
雑用もさっと済ませる事が出来る。
たんたんと、考えながら軽く済ませる。


夕食もそこそこ。
身体にいいものをほんの少し食べる。
食べ物がおいしい。
そしてまた、考える。


一日中考える。
その人の事ばかり考える。
甘い記憶、それが恋。

長い道のりを経て

貸したカメラが無くなって2年が経つ。

とても気に入っていたけれど、
無くなったものは仕方ないし、
近くの公民館で無くなったので、
いいよ、すぐ出て来るよと楽観視してはや2年。

カメラの画像を見れば私のだってわかるから、
大丈夫大丈夫。
そう言い続けて2年経ったのだ。

いつものお人好し。
気に入ってかなり大事にしていたカメラだけれど、
不思議と執着心はなく、
無くなった事を悔やんでも、
見つかる訳じゃないからと、
心の片隅に追いやっていた。

1年程立った頃は同じものをamazonで買おうかと迷い、
思い切ってもう少し良いのを買おうか、
それともiPhoneでがまんするかと、
カメラ1つでくるくると悩み、

amazonからは「あなたへのおすすめ品」として、
デジカメの情報がちょこちょこ来るようになり、
iPhoneのカメラアプリも少しずつ増えて行った。
楽しい悩みだった。

結局「無くても生きて行けるもの」に大金を出す勇気もなく、
私が手に入れるべきものならば、
時が来れば自然と手に入ると開き直り、
無くしたカメラ用の充電器とUSBケーブルは、
ゴミ箱にぽいっと捨てた。
気持ちを切り替えるように。
もう当分カメラはいらないと。

そのカメラが、
長い道のりを経て、
何故だか今日私のもとに突然
帰って来てくれた。






補足:(”カメラ”目線で)
   公民館でのイベントに連れて行かれる
    ↓
   何かの拍子にスルッと落とされる
    ↓
   イベントでの出し物用の衣装が入った段ボールに入る
    ↓
   段ボールの中の衣装の海の底に沈む
    ↓
   誰にも発見されずその日のイベントが終了して  
   衣装の担当者に公民館の物置に運ばれる
    ↓
   物置に置かれて電気も真っ暗になり静けさがあたりを包む
    ↓
   闇と静けさ
    ↓
   数ヶ月に一度物置のドアが開くがこの段ボールの衣装は使用されず
    ↓
   ある日物置のドアが開き担当者がこの段ボールを動かす
    ↓
   段ボールが開けられ衣装が次々と取り出され....
            ↓
   眩しいぐらいに明るくなったところで......
    ↓
   「あれ?こんなところにカメラが入ってる」と聞こえ
    ↓
   久しぶりに人の温かい手に乗せられ
    ↓
   「これ誰のだ?」などと言われ前後じろじろと見られた後.....
    ↓
   電源をONにされた。ふう、久しぶりのこの感覚、目が覚めるようだ。
    ↓
   「写真見たら誰のかわかる」といろんなボタンを押される。
    ↓
   「あ、この人って○○の所の人じゃない?持って行ってみる。」
    ↓
   そして私はやっとLushSplushに会えた。
    ↓
   LushSplushはかなり喜んで、私を隅々までキレイに拭き
    ↓
   中の画像を一通り見て「懐かしい!キレイに撮れてる!」などと言い
    ↓
   すぐにカシャカシャと撮影。
    ↓
   ほっとした、気持ちがよかった。ただいま!
   

2011/01/22

最上級の贅沢

文章を書くのが好きだ。


心の内側からあふれて来る情景を、
人間の言葉に変換して、形を整え、整頓して、
色をつけ、削ぎ落とし、指先に伝えて書く。


時にはつぎつぎとあふれて来る言葉がこぼれてしまい、
その言葉を拾って書こうと思った時には
どこかに飛んで行ってしまっていて、
にどと戻っては来ない。
のがしてしまうのはとてももったいない。
浮かんで来る言葉は場所を選んではくれないので、
ふいに言葉があふれて来た時は
evernoteやsimplenoteに助けてもらう。


そして、こんな私の文章を、
読んでくれる人もいるようです。
好きな事をして、それを受け入れてくれる人が一人でもいる、
と言う事は、
この世に生まれて来て最上級の贅沢ではないだろうか。
まるで暖かい、大きな、愛のようなものに包まれていながら、
私はなんの不安も無く書き続ける事が出来るのだ。


いつか私の中がからっぽになって、
何も出てこない日が来るのだろうか?
それはとても恐ろしいことだけれど、
だとしてもその日が来るまで
書いて、書き続けたい。
祈りにも似た感謝の気持ちを静かに抱きながら。

父の過ち

ロンドンの町、曇りのビッグベンを見上げる古い橋を
毎朝渡って通勤するテスは、
ある日の朝も、
足早に、ろくに何も見もせず、
何も考えずにオフィスに向かっていた。


すれ違う人には目もくれず、
コートを胸元で合わせることであらゆるものを拒否出来ると言わんばかり。
頬に寒さは感じるものの、
これと言った考えなしに歩くのは毎度の事で、
なんの感動もない。
それは正に、テスの人生そのものだった。


幼い頃から母と2人で暮らして来た。
父はある日突然家を出て行ったきり、
一度も会った事はない。


おぼろげな記憶はある。
夢なのかも知れないが、
テスを暖かいようなまなざしで見守っている印象がある。
顔は思い出せない。


母は当時長い間、
精神的に不安定になり、
テスと楽しく会話している最中にも、
突然目から涙がこぼれ落ち、
母はしばらくの間それに気付かず、
テスは戸惑ったものだった。


その頃からテスは、
比較的何も考えないように、感じないようにして、
人生を送って来たのだ。


なので、
今橋の上でテスが無表情に目を向け、
すれ違った初老のホームレスがテスの父親だと言う事には、
気付かなかった。

贈り物

いま私は会社の休憩室に、
1人座って居るのだけれど、同時に
生まれ故郷の辺りや、
好きな吉祥寺、
行ったことのない場所
外国の雪の山道
ロス辺りの海岸にいる。


自由に何処へでも行ける。
あなたのそばに行き、
そっと冷たい頬に触れる事もできる。


想像力、
人間に与えられた
素晴らしい贈り物。

2011/01/21

私の中にあるもの

「紡ぎ出される文章に癒されます」
と言われた事がある。


紡ぎ出される。
なんて繊細で綺麗な言葉。
そんな言葉で褒められて、
私の文章の価値が少し上がったように思える。
そしてそんな言葉を私の文章に対して使ってくれる、
その人の文才が豊かなのだと思う。


情景が浮かんできた。」
などと言われた事がある。


文章を書く時に、
私の頭に浮かんでいるのと同じ情景が、
読む人にも浮かぶのが理想ですが、
まだ手探りで書いている私にとって、
情景が浮かぶ、と言ってもらえるだけで嬉しい。


映画と違い文章は文字だけで情景を作らないといけない。
だからそれが浮かぶと言ってもらえるのは、
最高の褒め言葉なのだ。


そう言ってくれる人自体の想像力が豊かで、
私の文章力のなせる技ではないかも知れないが、
ためしてやる、
と言う人がいたら
「輝く記憶」「二度と手に入らないもの」など
読んでみて下さい。
読んでもらえる事自体がとても嬉しいのです。


残念ながら、
これを読んでくれている人がいるのかいないのか、
わからないのですが、
きっと誰かが読んでくれるだろう、
と思いながら、
いつも心を込めて書いています。


寒さに震える夜も
夢中で書くので、寒さに気付かず書き上げます。
書いている時、心の中は暖かいから。


私の中にあるものを、
選び、形を整え、削り、暖めたり冷やしたり、
抱きしめて、放り投げて、丁寧に磨いてから
「紡ぎ出しています。」

2011/01/20

犠牲と喜びのバランスについて

ダイエットのこつは、
「一生続けられる内容にする事」だって。
すごく賛成。


適当な気持ちでだらっと出来る、
その程度がいいのかも。
「あ〜そうだ、忘れてた。やろっかな〜」


毎日の計画もたまにはさぼっちゃう。
でもこれに関しては
サボリ癖のつかない自信のある時だけさぼって良い。
さぼった次の日はどんなにきつくても、
インフルエンザでも、
お葬式でもやる!って言う感じで。


私の場合、
一日30分の筋トレと、
食事のゆるいコントロール。


3食を軽めに身体にいいものを、
カロリーも適当(←ポイント)に計算して、
まいっかこのぐらいは、って言う時もある。


せっかく勧められて、
かたくなにことわるのも、
人の親切に対して悪いし。
適当に計算してるから、
「これをありがたく頂いて、後であれをやめとこう」とか
だいたい把握している。


すんごく危険な食べ物は
飛びつかないでしばらくやり過ごす。
「落ち着いて。どうせ手に入る。時間が経てば必要ない事に気付くかも。」


みんながわ〜っとケーキに群がっている時、
飛びつかない自分を楽しむ。
「いいよ♥好きなの先に選んでね。なくなってもいいよ♪」ひゅ〜☆
ケーキを食べるみんなのしあわせそうな表情を楽しむ。


そのうち脳も私の思い通りに働いてくれて、
外食の時などつぎつぎに出て来るご馳走を
今までは一通り食べなくてはいけない強迫観念にかられて
残さず食べていたけれど、
今は
「これは美味しそうで食べたい気がするけど、
 本当に、本当に食べたい?ん〜、そうでもないな。」と、
冷静な自分の本当の欲求がわかるようになる。


いつもおなかをすかせている訳じゃない。
合間にウィダーインゼリーとか野菜ジュースとか、
ナッツやチョコを少し、ゆっくり齧ったり、
むしろ以前より落ち着いた食生活を送ってる。


そして食べる量が極端に減ったにも関わらず、
体調は明らかに良くなっている。
疲れも殆ど感じず、
階段も毎日何度も上り下りしても少しの息切れもない。
立ちくらみもなくなり、
健康そのものだ。


がんばれば報われるけど、
がんばり過ぎない事が大事。
犠牲を払うとき、
それが犠牲と感じない程度にとどめたい。
犠牲が喜びに変わって行ける程度に。




補足:iPhoneアプリのトレーニングやランニングの結果を   
   twitterでつぶやく人もどんどん増えて来てる。
   それを見ると励みになって、
   「あ、そうだ私もやろう。」ってなる時がある。
   「先を越された〜」とか、
   「あれ?私はもう済んだよ〜」とか楽しい。

2011/01/19

二度と手に入らないもの

私が生まれ育ったあのおじいちゃんの家はもうない。
思い切り走りまわった広い庭は、
もう私の記憶の中にしか存在しない。
庭のすみずみまで覚えているのに。


おじいちゃんの作った物置小屋、
おじいちゃんの作った鯉の池。
おじいちゃんの作った藤棚の藤は
それは見事な平安絵巻の美しさだった。
立派なクマンバチも同居していたけれど
それも刺激的だった。


庭木の手入れも行き届いていた。
毎年しじゅうからが巣を作り卵を産んだ灯籠。
よくヒナが鳴くのを覗き込んだ。
しじゅうからにとっては私は危険人物だったと思うが、
灯籠の穴は直径3センチ程度、
石造りで、
私は指をくわえて眺めるだけ。


おばあちゃんが愛情込めて手入れしていた花壇。
いつ見てもおばあちゃんが草取りをしてた広い芝生。
野菜も少し育てていた。
そこは虫たちの楽園でもあった。


毎年たわわに真っ赤な甘い実を付けるグミの木。
摘み取って食べ放題だった。
美しい赤い椿やピンクの山茶花。
背の高い糸杉がきれいに刈られて並び、庭を囲み守っていた。
大きな桜の木もあった。


山吹の葉っぱを摘んで遊んだり、
ネムノキの、触るとしぼむ葉っぱを
片っ端から触ってしぼませたり、
一人っ子の私は、
小さな王国の王様だった。


その王国が滅びたのだ。
もう二度と取り返せない。
何故なら手放したその場所には現在、
どこかの不動産業者の
メゾネットタイプの賃貸住宅が
4棟(4棟!)建っているから。


そこを通るたびに、
ちょっとした敗北感とともに、
あのあたりに桜の木があって、
この辺に私の部屋があった、と言う
甘い記憶がよみがえる。


でも、今私の記憶の中にあるあの家は、
とても鮮明に美しく、大きなガラス窓から庭を臨めば
雪の日はみごとな銀世界、
夏の日は攻撃的なまでのグリーン、
春は蝶が飛び交い、そこにはいつもおばあちゃんの白い割烹着が見える。


しがみついているわけではない。
まだ私の中に何もかもが生きてそこにある。
私がいつか死ぬまでは
いつでも美しいままで、ここにある。