2011/01/28

記憶



物心ついた時から、
バレーリーナになりたい、
と思っていた。


小さな頃、お姫様を夢見る感覚。
何を見てそう思ったのかは覚えていないのだけれど。


覚えていない?


今これを書いていてふと、
今まで見た事の無い記憶の映像が、
突然頭に浮かんで来た。


本物の記憶なのか、
夢の記憶なのかはわからない。


それは叔母の家で
レーザーディスクだろうか?
何かで白鳥の湖の映像を見ている所。


青くしずんだ舞台で、
真っ白なチュチュを来たプリマドンナが、
悲しいオーラで震えるように踊っている映像。


小さな私は、
それを見て雷に打たれたのだ、
と言うイメージを、
その記憶の映像は私に伝えたいらしい。


記憶ってとても不思議だ。
一度見たり、経験した事は、
必ず一度は記憶される。


それをすぐに取り出せば、
「覚えている」と言う事になる。
取り出そうとしても出てこなければ、
「忘れた」事になり、
一度も取り出さずに月日が経ち、
ある日突然難なく取り出せる、
と言う経験を、
今私はしたのかも知れない。


またこの記憶が夢の記憶だったとしても、
それも不思議だ。


夢は殆どが記憶の処理作業なので、
夢自体を強烈に覚えている事は殆どない。
覚えている夢は物心ついてからの物で、
それ以前の小さな頃、
自分でも覚えていない時期に見た夢を、
思い出せるはずがないのでは?


もう1つあった。
やはり物心つくかつかないかの小さい頃。


お隣の家は高齢のおばあちゃんとその息子が、
広い敷地内に2人で住んでいた。
その庭の一角に大きな池があって、
そこまでは事実と合致している。
その池の向こうに鹿が立っていて、
こちらをじっと見ている。
私はおどろいてすぐ家に戻り、
母やおばあちゃんに
「○○さんの庭に鹿がいたよ!」
と報告している記憶。


鹿がいるわけがない、
と前提して、
この事自体が夢だったのか、
鹿自体が何かの見間違いだったのか、
すべて事実だったのか、
今はもうわからない。


わからなくていいのだ。
人体のやってのける事のすごさと、不思議を
私は思う存分味わって、
わからないままにして好奇心をじらしておく美しさも
好きだ。

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