2011/04/30

私の色見本帳 No.2



とても曇って来て、
今にも雨が降りそうな時。
雨の匂いさえ既に感じる。


雲が空一面を覆い、
押しつぶされそうな厚みで、
突然夕方になったような暗さ。


雲のながれるスピードに、
少し不安になる。


地球の終わりのようなその天候に、
軽い興奮さえ覚える。


暗い暗い雲の色。
深い、奥深い、
それでいて、
柔らかいグレー。


その色が好き。




   

好きな俳優 ❷



単純に、
本当に単純に、
顔が好きな俳優さん。


しかも、画面の中だけで、見ていたい。


実際に会ったり、
関わったりはしたくない。


チェイス・クロフォード。


いつも
「チェイスくん♥」ってハート付きで呼んでます。


私の中の王子様的な位置づけです。


恋愛は、
疲れそう。








「ちゅー」が、
かわいい〜!!


  

+16♥




1月4日からブログを書き始めた。


1月は28日間あって、ブログは42作。
2月は30日間あって、38作。
3月は31日間あって、32作。
4月は30日間あって、45作。


つまり、
日数と作数を比較して、
1月は+14
2月は+8
3月は+1
4月は+15
と言う事は、
今月は、
今までで一番多かった1月を超えたっていうことです。


経営が前年比のクリアを目指すみたいに、
前月比をクリアして行こうかな〜?
って思って3月を見て、
こんなもんかと思っていたら、
1月にこんなに多く書いていた事がわかり、
よーし、
内容を薄めずに、
1月を超えてやる〜
と、思ったのでした。


この投稿含めたら
+16♥


   

笑われるかも知れないけれど



以前に自分が書いた物を読み返すのが、
大好きだ。


本当に能天気だと笑われるかも知れないけれど、
自分の書いた物を読むのは、
楽しい。


割とひとつひとつ一生懸命に書き、
満足してから投稿するので、
後で読み返しても、
手直ししたくなったりもしない。


裏返すと、
成長してないと言う事?






以前書いた物を、
順を追って読み返すと、


悩んでいた時期がわかる。


文面にも、内容にも、
悩みや、じたばたする様子が、
現れている。


投げやりになったり、
暗くなったり。






今でも同じ悩みはそのまま、
抱えているけれど、


こうして文章で表現するうちに、
悩みも少し浄化して来たようだ。


このまま解決しなくても、
生きて行けそうな気がして来た。






そして、
少しでも読んでくれる人がいる。
好きだと言ってくれる人がいる。


人生って素晴らしい。




   

その2人が出会うと、 とてつもなく完璧なものになる。



コーヒーゼリーの美味しさについて、
考えた。


何故こんなに、
美味しいのか?


コーヒーゼリーだけで食べても、
そこまでは美味しくない。


もちろんクリームだけでも、
美味しくないのに、


その2人が出会うと、
とてつもなく完璧なものになる。


クラッシュしたコーヒーゼリーに絡まる、
クリーム。
それは、
相手を包み込み、
相手の欠点を緩和し、補い、
相手の素晴らしい所を、
余す所無く引き出す。


結婚相手や、
仕事のパートナーとは、


コーヒーゼリーのような関係に、
なりたいものだ。


とは言え、
何故こんなに美味しいのか、
と言う疑問は、
解決されないままだ。




   

激しい雨




スーパーマーケットの駐車場。
買い物を終えて車に乗り、エンジンをかける。
外は大雨。


激しい雨に感化されたのか、
ふと愛についての一文が降りて来る。


エンジンを止めて、
憑かれたように、iPhoneにしたためる。
言葉が降りて来た時は、
逃がしたくないのだ。
言葉が溢れるままに綴り、
書き終わる頃。


人の気配に外を見ると、
買い物帰りの年配の女性が、


正直に言おう、
おばちゃんが2人、
豪快に笑いながら立ち話している。
ジャージのような服に、
古いサンダル。
何もかもがおかまい無し。


私が今入り込んで居た場所と、
おばちゃんとの、
この交わる事のない世界。
そのギャップが、
好きだ。


おばちゃんの世界も、
それはそれで、
嫌いじゃない。

愛について



人を愛すれば、苦しみもついて来るよ。


会えない苦しみ、
相手の気持がわからない苦しみ、
ふとした事からの、疑心暗鬼。


でもそれはその愛が、
自分のための愛だからだよ。








無償の愛には、平穏がある。
会いたいけれど、
会えなくても、
あきらめにも似た、暖かい気持。


相手が幸せなら、
会わなくてもいい。


相手が悲しいとき、
自分も悲しくなるけど、
黙って思うだけ。


ただ単純に愛しているだけで、
特に何も求めない。


自分への愛も求めない。






そこへ辿り着くには、
少しだけ、
命を削る必要があるかもね?




   

往年のピカソのように


昨夜食事に行った。

そこには、

その店でよく会う、

地元で控えめに活躍する文化人、

68歳の男性がご家族を連れて、食事に来ていた。

途中私たちの席に挨拶に来てくれて、

連れと話し込むあいだも、

しきりに私に、アイコンタクトをとって来る。

私の事もちゃんと意識していますというサイン。

そして会話がひとしきり終わると、

私に向き合い、

「◯◯さん所の娘さんですか?違うの?いや、若いですね!」と、

とても自然に驚いている風だった。

もちろん、こうしてブログに書いて自慢したい程嬉しいわけですが、

その百戦錬磨の演技力と、

女性を褒める事に慣れていて、

しかも、相手に演技と気取られないあたり、

「ああ、こう言う所が文化人たるゆえんなのだな。」と、

感心しました。

往年のピカソのように、

ボーダーのシャツに豊かな白髪、

とてもカジュアルがオシャレな人でした。


   

2011/04/29

私の色見本帳 No.1



夕暮れ時、
ビルの狭間にいる。


ここは、日が陰って、薄暗い。


近くのビルの最上階あたりを見上げると、
ここからは見えない夕日があたっていて、
そこだけが際立って、
オレンジ色に輝いている。


その色が好きだ。




   

カフェで思った事。



カフェのざわめきは、
いつしか沈黙になっている。


その事に気付いた時は既に、
ざわめきにもどっている。


沈黙でいてくれる時は、
気付かない。


失わないと、
気付かない。




   

言い訳



ここで一度、
言い訳をしておきます。


今まで140ちょっとの文章を書いてきて、


最近では書く時に、
「あれ?この話、前にも書いたっけ?」と思う事があります。


その度に、いちいち自分のブログをさかのぼり、
探してみると、
大抵気のせいだった、と言う事がわかり、
結局書くのですが、


だんだんこの
「さかのぼって確かめる」と言う作業が、
どうも時間の無駄のような気がしています。


私の書いた物を、私がまた書いたっていいじゃん。
と思うのです。


ただ、
これを読んでくれた人が、
「この話、前にも見た気がする」
となった時の為に、
言い訳しておきます。




気にしない気にしない♥




   

嬉しい事がありました


twitter上で知り合った方からのお誘いで、

素敵なweb bookが出来ました。

私が文章を書かせてもらい、

その方が本のデザインと作成をして下さいました。

その方からのご依頼で、

「暗い詩を」との事でした。

暗い話は得意ですが、

詩など書いた事も無く、勉強した事も無い。

結局、詩でもなく短編でもなく、

なんでしょう?

読んで、見てみて下さい。


嬉しいな。

  

好きな俳優 ❶



[スタンリー・トゥッチ]


好きな俳優の1人。


優しげな役から冷たい役まで、
屈折した殺人者から陽気なゲイまで。
劇中では役になりきっているだけあって、
殆ど感じた事はないけれど、


とてもハンサムでセクシーです。

















禿げていてセクシーな人No.1です。




  

2011/04/28

雲の影




街路樹の濃い緑の中、
車を走らせる。


悲しいぐらいの晴天。


病院からの緊急の電話。


あの人が。


ヒールが割れんばかりに、
アクセルを踏み込む。


輝く緑。
他の車は一台もいない。
焦りと不安からつい、
スピードを上げて行く。


ふと見ると、
日に照らされてまぶしい路面の、
あちらに向かって、
雲の影が流れて行く。


それを見ているうちに、
呼吸が速くなり、
心臓が言う事を聞かなくなる。






もっと早く行くべきだった。
あの日の午後の事です。









残酷な太陽



学校から帰って来るなり、
鞄を放り出し、
白い出窓に顔を伏せる。


授業中に机で寝る時の感じで、
暫くそうしている。


顔を横に向けると、
まばゆい、柔らかい太陽の光が、
私を暖かく包んでいるのがわかる。
おばあちゃんの膝掛けみたい。


窓の外の広葉樹の影が、
太陽の光を解きほぐしてくれる。


風で広葉樹が揺れると、
光もきらきら揺れて、
私の気持ちも。


顔を横に向けたから、
涙は横にこぼれちゃうね。


こんなに溢れんばかりの暖かい光の中でも、
悲しみは変わらずそこにある。
癒されているようでいて、
むしろ悲しみが増幅される。


暖かさで、
たがが外れて、
心の痛みがあふれてくるのだ。


残酷な太陽。






   

2011/04/27

もっともっと、ハングリーに書かないと、 上手くならないでしょうか?



このブログは今年の1月4日から始めて今日で115日目。
144の文章書いてる。


一日約1文章か。


他にも、書いてて未投稿なのもあるし、
長いお話もひとつ書いてる。
まあ、普通のペース、
妥当な線なのではないでしょうか?


だめですか?
そんな消極的な気持では。


もっともっと、ハングリーに書かないと、
上手くならないでしょうか?


上手くなる為のhow to的な本は、
何故か敬遠してしまいます。
how toなんか読んでる間に、
書いた方が勉強になる。
とか思っちゃうし、
なにしろ、
上から言われると、
やる気をなくすタイプです。


それじゃ、いけませんね。


人の話は素直に聴いて、
なんでも試して吸収して、
すくすく成長しないといけませんね。


ところで、
このような簡単な文章はいいのですが、


長編の
「起承転結」をふまえた文章って、
難しいです!
「起承」はいいんです。
盛り上がりの「転」が、大変です。


それ以前に、
内容の辻褄を合わせたり、
ある事柄を、
いつ明かすとか、
隠しておくべきかとか。


気の向くままにだだっと書く癖があるので、
まったく書き方の違う長編には、
苦労が多いです。


でも楽しいです。
結構書き進んだ後に、
すべて白紙に戻してやり直したりして、
なかなか進みませんので、
いつ書き上がることか。


書き上がるのか?


  


    

歌姫について






サラ・ブライトマンの歌う"Attesa"が好きだ。


サラ・ブライトマンを聴く時は


ヘッドホンか、車で大音量で聴く。


その歌声を聴いていると、


彼女があらゆる物を犠牲にして、


歌う事だけに打ち込んでいる、


と言うイメージが伝わって来る。


笑わないイメージ。孤独感。


ストイックに、ひたすら耐えているイメージ。


この人はもしかして、


歌う時以外は声を出さないのでは?


とさえ、思ってしまう。


そして、ジャケットの風景の中に


迷い込ませてくれる。


アマルフィの海を臨む小高い城。


冷たい清冽な朝の空気。


行った事もないのに、


私の心はそこにいる。






















人生って素晴らしい。






   

「あなた今日は綺麗だ」



最近、
思考の仕方について、
とても気になります。


良い事にも裏表があり、
悪い事にもある。
陰と陽。


捉え方にも裏表があるだろうから、
複雑だ。


「あなた今日は綺麗だ」
と言われれば、
私なら単純に喜ぶ。
その言葉を言われるのは完全に「良い事」であるし、
裏も表もない。
もちろん私だって、
今までいろいろな事があり、
傷のひとつやふたつ持っている。
その上での、「単純」です。


でも中には
「今日は?今日だけ?昨日はだめだったのですか?」
と眉をしかめる者もいるだろう。


「突然何をいいだすのだ?何か都合の悪い事でもあるのか?」
と不審に思い、執拗に追求する者も。


そしてそんな風に物事を悪い方へと考えてしまうのには、
理由があると思うのです。
その辺を思うと、
胸がきゅっとして、
良いとか悪いとか言えなくなるのです。


ただ切なく、
どうしようもなく、
横で黙って暖かく見守るしか出来ない自分がいます。




   

愛そのものは



物事を良い悪いで決めてしまおうとすると、
大事なものを傷つける事がある。


元々人類は、
過酷な気象環境の中、
風雨や暑さ寒さをしのぎ、
水や食料を常に求め、


生き残る為、存続の為にうろつく、
他の強い生き物とともに、
共存して来た。


そこには単純に、
生きて行く為の暗黙のルールがあり、
ルールを守らないと、
命に関わるが、
時にルールを守らないものが、
生き残る場合もある。
ごくシンプルなルール。
見つからなければ良い、
と言うような事もあっただろう。


また、当初は
良い悪いなどの概念はもちろん無いわけだ。


そこにあるのは、
人間としてのシンプルなルール。


やがて文明社会に突入して、
人はより快適に生きて行く為に、
自分たちでルールを作り、
おおむね、良く出来たルール。
大体殆どの人がそれを守って生きている。


ただ、すべては後付けのもの。
国によって違ったりもする。
どうしてもそこにはひずみがある。


そのひずみに苦しむ人がいるのだろう、
と思う。


曖昧な話ですか?


身近な例を挙げましょう。


法律として結婚制度があります。
とてもいい制度です。
子供達も、それで守られている、
申し分のない制度です。


ただ、結婚しているものは、
不貞を働いてはならない。
というルールがある。


そのルールを破れば、
代償は安くはない。
多くの愛する人を、
傷つけるわけです。
時には、
死者も出るでしょう。


ただ、
愛そのものは、
愛そのものは、
決して悪くない。


と言う事です。




ん?
なんだか、
浮気した男性の言い訳みたいなお話ですか?




  

触ってはいけない繊細なガラス細工かも知れないのだ。





相手が何か話している時、

時々、
いや結構頻繁に、
話の後ろに何かが隠れている事がある。

話す言葉を、
普段はそのままストレートに聴いている。
言葉の裏に何かあって、
相手がそれを出そうとしている時は、
サインがわかり易いので察知出来る。

けれど、
相手が言葉の裏を胸にしまっている時でも、
なぜかそれを察知してしまう時がある。

ピンと来るのとも違う。
手探りで探し当てるのだ。

暗闇で、
何も落ちていないかも知れない床を、
ただ漠然と探ってみる。
盲目的に目星をつけて、ある位置に手を伸ばしてみると、
そこにあるものに手が触れる。
触れた時はそれがどんなものかは、
私にはわからない。
意味の無いものかも知れないし、
爆弾かも知れない。
触ってはいけない繊細なガラス細工かも知れないのだ。

それに触れて相手の様子をうかがうと、
意味の無いものの時は反応しないし、
ガラス細工の時は目を伏せて黙り込む。
爆弾であったなら、
相手はそれについてたいがい、
良く見つけてくれたと言わんばかりに、
喋ってくれる。

ビンゴ。
手探りの暗闇は一気に明るく照らされ、
相手はよく見て欲しい、
わかって欲しいと、                                
訴えかけて来る。
それは相手が本当に言いたかった事。


そして、私はその人の
堰を切って出るような話を、
黙って聴く。

その人に少し乗り移ってみる。
もちろん、完全にとは行かないが、
少しは、予想出来る。
相手の状況を聴き出し、
気持ちを想像してみる。
相手の目で見てみる。

意外と話している事と違う感情がそこにあったり、
本人も気付かない気持が隠れていたりする。

私だってそうだもんな。
とても悲しい時に、
笑顔で過ごしたりするもんだ。

人と真剣に話すときは、
仮面をとって、
心を更にして、
手探りで聴きたいものだ。


   

2011/04/26

「いや、このぐらいわからないと。見てわからないのですか?」



仕事の関係で数字を追わないといけない時がある。
けれど、なにしろ、気持は
その世界とは逆のところに生きている人間。
数字、特にお金にまつわる数字はにがてだ。


お商売をさせてもらっていて、
それはないだろうと怒られそうだけれど、
どうしても数字はなじみにくい。


苦手だと決めつけるのも良くないとわかっているので、
私なりに取り組んではいるのです。
けれど、どうもうまくいかない。


数字を見ているとぴんと来たり、
いろいろなことが読めてくる人いるんですよね。


私だってまじめに考えれば、
少しは分析ぐらいは出来るけれど、
数字の得意な人は、
更に踏み込んで、パッと何かをひらめくようだ。
少しの計算ミスを、
表を眺めただけで、
「あれ?これおかしくない?」
 とわかっちゃう人、
すごいなーと尊敬していると、
「いや、このぐらいわからないと。見てわからないのですか?」
と怒られる。


なにその言い方。


そして、尊敬が半減。


数字数字数字。


お商売は数字より人だー!








   

素敵な生き物



食べ物は、
盛る器によって、
味が変わる。


いや、もちろん、
味は変わらない。


ただ
私たち人間は、


見た目、
香り、
シチュエーションに
左右されやすい、
素敵な生き物だ。


私が好きなのは、


天気の良い夕刻、
野外での食事。
生成りのパラソル。
麻のテーブルクロス。
食事に合わせた食器やグラス。
贅沢を言えば、
キャンドルで。
好きな人と2人。


いや、そんなに気取ってるわけじゃ、
ないんです。
カジュアルなのが、好きです。


親しい友人少人数で、
屋外で食事するだけで、
何でもおいしいでしょうね。


私の場合、
多人数はいまいちです。


少しの友人と、
気遣いせずにお話する幸せ。


この為に生きてる、
って思っちゃう。

プライベートで聴くと、 仕事気分になってしまう。



ジャズやボサノバとてもとても好き。


幸いなことに、職場でずっとかかってる。


なので、CDなど買わなくても満喫出来る。






で、不幸な事に、飽きてしまって、


プライベートでは聴かなくなってしまった。


そうでなくても、ジャズやボサノバは、


一つの曲をいろんなアーティストが、


繰り返し歌うのでなおさら。






プライベートで聴くと、


仕事気分になってしまう。






でも、


いいな。


やっぱり、好きだ。




好きなのに、


聴きたくない❤







ハイブロー/ハイエンド/ハイソサエティーという3つの言葉を使って愛おしい者について表現しよう



時々気付くと、
息を止めてる事あります。


何かに集中している時。


いつも、
苦しくなって気付くのではなく、
あれ?息してない。
と気付くのです。


ストレスとか、
マイナス要因からでは無いと思う。


どちらかと言うと、
リラックスして集中してる時。


身体の活動を最小限に抑えて、
頭を回転させてるのかな?


地球上の生き物の、
DNAに書き込まれている、
複雑な身体の仕組みに驚かされる事はよくあるけど、


文明人の、
時代背景や、人間関係、
癖や、ストレスや自己防衛本能など、
いろいろからみ合った結果おこる、
無意識的な奇妙な習慣には、
驚かされると言うよりも、
愛おしい。


ハイブローな知識人が、
ハイエンドな機器を軽く駆使しながら、
ハイソサエティーな生活を送りつつ、


無意識下で、
そう、例えば、
物を集中して書く時、唇が「ちゅー」の形になる人いますよね?


そういうのが、愛おしい。  





つぶらな瞳で見つめて来る。



友達に教わった。
「ぬいぐるみにマッサージしてあげると、
 自分が癒される」って。


ちょっと照れながら
1人でやってみた。


すると驚いた事に、
とってもいい気分。


なんだかむずがゆい。


もみもみしているうちに、
なんだかぬいぐるみが愛おしく感じて来て、
思わず抱きしめたくなる。


はずかしいんだけど、
正直に言います。


はい、抱きしめました。


私はたまたまその辺にあった
ラスカルでもにょもにょやったんだけど、
ラスカルがつぶらな瞳で見つめて来るもんだから、
ついぎゅっと。
































で、本当に癒されちゃいました。
だまされたと思って、
やってみて下さい。




   

2011/04/25

フランクフルタークランツ



ユーハイムの


”フランクフルタークランツ”は


昔からたまに食べたくなる素朴なお菓子。


ユーハイムと言えばバームクーヘンなのですが、


フランクフルタークランツは、


バームクーヘンではありません。


あっさり目のリング型のスポンジに


真っ白なバタークリームを塗って、


細かいナッツと、


パウダーシュガーをかけたもの。


まるで粉雪の山みたいです。


バタークリームと言っても、


この絶妙なパウダーシュガーのお陰で、


べったりした油っぽさはありません。


ああ、人生って素晴らしい。



風の中で思う事。



どうして風に吹かれるのが好きなのか。


風に吹かれると、
髪がぐしゃぐしゃになるのが好き。


顔にあたる風が、
いろんな事、想像させてくれるし。


よく考えるのは、
この風がどこから来て、
どこまで吹いていくのかってこと。


それを思うといつも、
風が大陸を渡って来る映像が、
頭に浮かぶ。


大陸を渡って来た風が、
私の髪を揺らしているのだと。


そして私の希望的観測では、
あの人の所を通って来た風だろうな?と。


もしくはこの風が今からあの人の所まで、
吹いて行けと。


風の中、


そう思う。