2011/05/23

勝利の赤絨毯の上を歩き続ける人生よりも。



あきらめる、と言う事、
悪い事じゃない。


何かに向かって突き進んでいるとき、
あきらめる、とは、
マイナスの要素でしかない、
と言われて育っても、


あきらめなければならない場面は、
誰にでも訪れる。


弱腰になってあきらめる事もあれば、
誰かの為にあきらめたり、
強制的にあきらめさせられたり。
理由はどうあれ、
本人は膝を折るわけだけれど、
それはその人の糧になり、
その人の優しさを形作って行くのではないかと思う。


目標に突き進んで、勝利を勝ち取るのもいいけれど、
その先に何も無い事だってある。
もともと勝ち負けに興味の無い私。
むしろ私個人としては、
勝利の赤絨毯の上を歩き続ける人生より、


つつましくあきらめたり、
涙を飲んで挫折したり、
失敗したり傷ついたりする、
遠回りの優しき人生が、
抱きしめたいほど、愛おしい。






   

2011/05/22

沈黙のとき



沈黙を怖がる人がいる。


会話が途切れると、
あわててしゃべりだす。


どうしてかな?


なにを怖がっているのか、
初対面でもなく、
気を使う間柄でもないのに。


私は気にしない。


一緒にいる。
それだけでいい。
会話も好き。
沈黙も好き。






   




   

2011/05/20

1人1人がインディアンの名前のように持っているもの。



人は誰しも心の奥深くに、
表に出すことのない思いや、
感情を持っている。


それは一生表には出さないかも知れない物で、
その人しか知り得ない、
奥深く複雑にからみ合った思考の結晶。


笑いながら生活を送り、
心の中で泣き続けている人もいる。
そこが自分の居場所じゃないと感じている人も。
持ちたくなんかないのに毒を持っている人もいるだろうし、
悪魔と同居して苦しんでいる人もいるだろう。
愛であふれているのに、
それを解放出来ない人もいるだろうし、
空虚を持て余している人もいるだろう。
本人さえ気付いてないかも知れないけれど。


人間のそういう部分は、
ある意味、表面に見えている物よりも
遥かに大きく、
心の中と言ってもその体積は宇宙程もあるのでは、
と思えてしまう。


私は、
人間の奥底にある、
深海のような、霊峰のような、
大きさの計り知れない精神。
1人1人がインディアンの名前のように持っているものや、
それを取り巻くすべてが、
そう言う物があるという状況が、
とても好きだ。




  

私の色見本帳 No.3



ヨーロッパの石畳の広場。
日陰で暗いスペースの回りを、
古いレンガの建物が囲む。


その広場の真ん中辺りに、
石畳の間から、
真っ青なガーベラが一輪真っすぐに立つ。
着けたもの皆非業の死を遂げると言われる
呪われたサファイアの青色。
深く吸い込まれそうな完璧な青。


それを感慨深くみつめる私は、
地面すれすれの位置から視線を送っている。


ちょうど、
良い写真を撮ろうと、
地面にうつぶせになっている、
そんな位置。


ただそれだけの夢だけれど、
空気のひんやりした感じと、
土の匂い、
ガーベラの強い青が、
私の身体に今もまとわりついている。


その青が好き。




   
   

2011/05/19

DNAに書いてある海の事。



ここから海へ行こうと思ったら、
車で45分かかる。
ふらっと行くには、
少し遠い。


海は好きだ。


いつまででも眺めていられる。
眺めていたい。


車を走らせて、
海が近くなると、
空気の香りでわかる。
そういうのも、素敵だ。


遠くに海が見えて来ると、
ハッとする。
そこに海があると初めからわかっているのに、
ドキドキする。
海に対して何かあるのだ。


個人的に何かある、
と言うよりも、
人間としてDNAに何か書いてあるのだろう。
そんな感覚。




   

なんの前触れも無く突然耳に飛び込んで来た曲。



佐野元春の”情けない週末”と言う曲を
最近あるきっかけで久しぶりに聴いた。


初めて聴いたのは学生の頃。


その頃の自分は世界の中心にいて、
まだ自分のなにもかもが薄っぺらで、
恋の深みも知らなくて、


この曲もただ
「いい感じの曲」とだけ受け取っていた。


20年以上経って
なんの前触れも無く突然耳に飛び込んで来た時、
まったく心構えしていない私の、
深くなって少し傷のついた器にずっしりと入り込んで来て、
涙があふれそうになる。
今なら歌詞が痛い程刺さって来るから。


ただ、今の私にはその痛みをこらえる事も出来るだけに、
それもまた虚しい。


でも、日常生活では片鱗さえ見せないけれど、
こんな激しい感情が自分の中にあって、
それを押さえ込み続けていると、


自分がとても今を生きていて、
孤独の中、どうしていいかわからないけれど、
このままでいい、と言う気もするし、
この感情を持ちながらいつか死んでゆくのも、
とてもロマンチックだとも思える。
   




   



1人で街に出ている時、夕暮れ時を迎えると、


人恋しくなる。


雑踏の中、見上げると空はまだ、


夜になりきれずに、


青が濃く残る。


歩く人と肩がぶつかり、


はっとする。


立ち止まったりして、


私は、何を考えていたのだろう。


通常の生活とは別の、


私のとても個人的な感情の世界。


そこに住んでいる、


ある住人の事を、


気付くと考えている。


涙が出そうな程に。


   
   

男性が耳に花を挿す事について。




どこかの南の国に、
男性も耳に花を挿す習慣のある島がある。


日に焼けた男性が、
花を挿し、
白い歯をちらっと見せて笑う映像を見た事がある。
とても素敵だった。


自然な男性らしさ女性らしさと言うのは、
もちろん好きだ。


けれど、
男性はこうあるべき、こうしてはいけない、
と言う決めつけは、
あまり好きじゃない。
「男の子は青、女の子は赤。」
そんな暗黙の決まり事に違和感がある。


ピンクのYシャツ。
以前はあまり男性は着なかったのではないだろうか?
私はどうやら、
男性がピンクのYシャツを、
自然に着こなし
ているのが好きみたいだ。
いつも見かけると、つい見てしまう。


花を持った男性も素敵だ。
おじいちゃんでも少年でも、素敵。
これから女性にプレゼントする、
と言うのも素敵だけれど、
男性が、なにがしかのいきさつで、
ただただ花を持っている、
という状況がいい。


だからと言って、
女性のバッグを持ってあげてる男性はどうだろう。
そういうのはレディーファースト的な事とは違う。
もちろん優しさとも違う。


女性が自分で持つべきなのだ。
バッグもコーディネートしているのだから、
それを持ってこそのファッションなのではないか。
素敵に服を着こなして来ている男性に、
キラキラのついたバッグを持たせてどうする。


重たい買物袋を2人で分けあって持つのは素敵。
フランスパンや長ネギの飛び出した袋を、
いっしょに持つのがいい。


私のおじいちゃんは、
「男が買物袋など持つものではない。」とか言っちゃって、
颯爽と肩で風切って前を歩き、
おばあちゃんがいつも袋をたくさん持って、
おじいちゃんの後ろをついて歩いてたそうだ。
一緒に持てばハッピーだったのになー。
まったく、おじいちゃんたら。
変なプライドにしばられてた時代だったんだな。
「妻に甘い顔は見せるものではない。」


でも、時代も進み、
おじいちゃんも晩年は鎖がほどけたように、
おばあちゃんにとても優しくなり、
実際おばあちゃんもとても嬉しかったようで、
「昔は冷たい人だったけど、
 今は優しくて幸せよ。」って、
ことあるごとに言っていた。
おじいちゃんから受ける小さなひとつの優しさを、
いつまでも大事に慈しんでた。
そしておじいちゃんも、そんな状況に、
ほっとしていたのではないだろうか。




男性が耳に花を挿す。
性別に関係なく、
人間として美しい物は美しい。
誰かの意見に囚われる事は無い。
人になんと言われようと。




   


  

体内に音楽が流れている人と流れていない人がいる



iTunesのPodCastで配信されてる
清水ミチコと三谷幸喜の
「MAKING SENSE DIGEST」は
楽しい。


その番組で以前三谷幸喜さんが言ってた話し。


「人には体内に音楽が流れている人と、
 流れていない人がいる」


と言うような話。


三谷幸喜さんもどなたかに(忘れた)言われたらしく、
「体内に音楽が流れている、流れていない」
の説明を清水ミチコさんに問い詰められ、
なにしろこの番組は、
清水ミチコと三谷幸喜のおふざけがメインなので、
そのうち説明がうやむやになって行く、
という落ちだったのですが、


私はすごくわかりました。
流れている人いない人。


そのとき例えで言っていたのが、
「オバマさんは流れてるんですよ。
 日本の政治家には流れてる人少ない、管さんとか流れてない。」


何でしょうか?
良い悪いに関わらず、
美意識や遊び心の有無でしょうか?
ロマンチスト?
保守的な人には流れにくい、とか?


流れてる流れてないは、
とってもわかるのですが、
確かに説明が難しい事ですね。


不思議です。
目に見えないし、
人の内面なんてそこまでわかるものではありませんが、
何故か音楽が流れてる人かそうでないかは、
わかりますよね?


三谷幸喜さんが言いたい事、
直接的な言葉で言い表せば単純な事なのでしょうが、
それを「音楽が流れてるかどうか」で言い表したものだから、
意味は通じても、単純な言葉に変換出来ない。


私?
もちろん流れてます。
あなたは?




   

2011/05/18

海で書く



最近気候がいいせいか、
海にでも行って、
ゆっくり書き物したい、
なんて思う。


で、想像してみると、
多分、海に行ったら、
書き物どころではないだろう。


東京に帰った時は、
カフェなどの雑踏のなか、
結構筆が進んだ。
電車の中でも書いたし、
歩きながらも書いた。


海などは、いかにも筆が進みそうだけれど、
ほわーっと舞い上がってしまうだろうし、
海を眺めるのが忙しい。
まあでも、
一度は書く為に行ってみてもいいな。
行くべきだな。


   

お知らせと言い訳と不満


❶ ブログの投稿が200を超えて来ると、
  うっかり以前に書いた物と同じような事を
  書いてしまいそう。
  その時は、ごめん!
  気にしない気にしない。

❷ 過去のブログにタグを付けなおしてたら、
  それが最新になっちゃう時と、
  ならない時があって、
  順番がごちゃごちゃ。
  やだー。
  


   

楽しかったと言う記憶



おもしろい夢を見たから、
忘れないうちに書き留めておこうと思って
iPhoneのevernoteを開けて
そのまま寝ちゃった。
夢は跡形も無く忘れ去っていた。
楽しかったと言う記憶だけを残して。


と言う夢を見た。
朝起きたらiPhoneのevernoteはちゃんと開いて
つけっぱなしになっていた。


おもしろい夢を見たと言うのは本当。




   

写真について

tumblrをみていると、思うこと。


劇的で見た事もないようなすごい写真や、
ものすごく美しい写真が、
心に響くとは限らない。


ストーリーの見える写真が、
いいな。


ものすごくキレイな夕日の写真も、
なかなか響いて来ない。
綺麗だというだけで、
それ以上でもそれ以下でもない。


だって、実物の美しさを知ってるから。


夕日はあの空の広さも含めて美しいのだと思うし、
光が目を射る感じもいい。
そこだけ切り取っても、
あの「息をのむ時」は、つかまえられないのだ。
その場にいなければ得られない。


だから美しいのだ。






ちなみに、私のtumblrページ。
単純に好きな物集めただけです。
自分の文章や、写真もちらほら。
暇つぶしにどうぞ。


http://lush-splush.tumblr.com/




    

あの押せない感覚。



enter key押せない病、
どうやら治ったみたい。


嬉しいな。


同じような症状の人の話を読むと、
3ヶ月ぐらい発信出来なかった。とか言う人が多かったから、
覚悟してたんだけど、


昨日試しに押そうとしたら、
初めはやっぱり、
じわ〜っと恐怖感がきて、辞めたんだけど、
いつもより軽く、なんだかもう少しで押せそうな感じ。


で誰かに返信したりしていたそののりで、
もう一度入力して、
enter keyを、10秒程間をおいて、
押せたんです。


で、一度押せちゃうと、
後はなんて事無い。


皆さんのお陰です。
嬉しいな、ありがと。


ふつうにつぶやける事自体、
こんなに嬉しい事なんだな。


それにしても、
おもしろい経験しました。
あの、押せない感覚。




   


  

2011/05/17

許しの神



男性のかわいいところに弱いです。
とても弱いです。


かっこよくて、
頼りになって、
大人で、頭が良くて
強くて優しくても、
私のスイッチは普通のON。


もちろん、
それでこの上なくOKなのですが、


かわいいところを見せられると、


バレエを習っていた私が常々先生に言われていた、
「頭のてっぺんから上に引っ張られているように、
 背筋を伸ばして立つのですよ。」の糸がスルッと抜けて、
ふぬけになってしまいます。


スイッチのON.OFFどころの問題ではないのです。
もう、別次元です。


何もかもゆるしてしまう。
そんな感覚です。


「許しの神」がいるとすれば、
きっとそれは、女性だと思う。


「もおー」ってゆるしちゃうんだよきっと。
わかるもん。




  

お蕎麦の食べ方



お蕎麦は、よく、
「のどごしを楽しむ」とか言うけど、
私はつるっと飲み込めない。


でも思い切り噛んで、
お蕎麦の風味を味わいたい。
おいしいよ、噛むと。


もぐもぐ


これ読んでイラッとした人は、
おじさんです。




   

日常




朝、
早めに会社に着いて、
駐車場に車を停め、エンジンを切る。
ドアを開け、朝の空気を車内に引き入れる。
すると、書きたくなるのだ。
ただ、iPhoneが、
書きたい情熱に、ついてこない。
もどかしくも、爽やかな、
朝の日常。

明日地球が滅びる時




夜明けに2人で海へ行く。


白い砂浜を裸足で散歩して、


朝日が昇るのを黙って見つめた。


彼の横顔を見る。


キレイな目に朝日の色がのっていて、


思わず吸い込まれそうだった。


最後の朝日。


それを彼の目の中に見る。


いつもより長く見つめていると、


彼も私の目を覗き込んで、


「映ってる、俺が。」と微笑む。


手をつなぎ砂浜を歩くと、


大きな風が吹き始めて、


私の髪を弄ぶ。


私の大好きな瞬間。


最後の日に風が吹いてくれて良かった。


目を閉じて全身で風を感じる。




明日地球が滅びる日、


そんな風に過ごしたい。

2011/05/16

中間報告書



twitter上で、
自分発信のつぶやきを入力しても、
enter keyがどうしても押せない病にかかって、
はや、9日目。


初めは1人の人に、
おそるおそるreply。


無理せずに徐々に輪を広げ、
今日は大分replyした。
前よりは全然少ないけど。


で、その間、普通につぶやこうとしても、
やっぱりenter keyが押せない。


軽く押せるようにと、つぶやく内容を
ただ「あー」とかにしても、
だめ。


なんでなん?


この不思議な精神構造、
仕組みを知りたいよ。


普通につぶやきたいのに。


すごい近代的な病気じゃない?


おばあちゃんに相談しても、
まず内容は通じないけど、
意外とぐさっと貫かれそう。
おばあちゃんに。




  

2011/05/15

愛しているのかいないのかもわからない。



月を見るといつも思う。


どこかで同じ月を誰か見てるかな?


もし、同じ時に別の場所で月を見ている人がいて、
お互いに同じような事考えているとする。


また別の日にも、
2人同時にふと月を見上げて、
美しいなと感じる。


それは、
映画のようにとてもロマンチックなこと。


でも
その2人の間に、
運命的な何かがある訳ではない。
出逢っていないのだから。


どちらかと言えば、


長年連れ添った男女。
価値観の合わない部分も多く、
恋愛感情も枯れて、ときめきもない。
別れ話の1度や2度は当たり前。
致命的な修羅場も数回。
愛しているのかいないのかもわからない。


でもいつも一緒にいる。


それが運命。




   

どれもつかまえておきたい。



夢によく、
いいストーリーが出て来る。


起きたての数分は覚えていて、
あーおもしろかった、
映画監督になれるんじゃない?私、とか、
絶妙だな言う事が、私、とか、
私とてつもなく良い言葉言ったよ?今、とか思って、
後で書き留めて、参考にしようと思っても、
書こうと思った時は覚えていない。


最近良くあるのは、
夜中や朝方に良い夢を見て、
朦朧としながらなんとか書き留めようと
iPhoneのevernoteを開けて、
そのまま寝てしまうパターン。


「良い夢を見た」と言う記憶だけが残っていて、
夢そのものは既に消えてなくなっている。


とてつもなく、悔しい。


自分の中から来た言葉や文章、
愛しくてたまらない。


イメージは、
きれいな風船が自分のなかで膨らんで来て、
やがてゆっくり上昇し始める。
キャッチしてコレクションする。
キャッチ出来ないと空高く飛んで行き、
2度と手に入らない。


人から見たら、たいしたものではないのだけれど、
私にとってはどれもつかまえておきたい。
出来る限りiPhoneに書き留める。
仕事中はiPhoneなどさわれないので、
その辺の紙切れに書いたりする。


まったく、好きだなー。



順番が入れ替わっちゃったじゃないかあ。



以前のブログに、
ちょいちょい訂正をくわえてたら、
順番が入れ替わっちゃったじゃないかあ。


内容は変えてないのに。


ずっと、
さわっても順番は変わらなかったのに、
途中から、
さわった物が最新になっちゃうようになったよ。


なんかやだー。


おかしいよBlogger。
あなた、やってる事に、
筋が通ってないよ。


ったくもー。
ぶつぶつ




   

2011/05/14

ドライブ




ドライブが好きです
1人で車を走らせるのが好きです




天気のいい日 
気の向くままに走る
公園を通り過ぎる時 子供達の笑い声が
幸せの天使の音のように鳴り響くと
私の心もほどけてゆく




雨の日車を走らせるなら
小雨よりむしろ 土砂降りの爽快感
街路樹の生い茂った濃い緑が
激しい風と天の恵みに洗われて
噎せ返るようにしっとりと息衝いている




曇った空のどんよりとした憂鬱感もいい
夕方のように薄暗い街を走ると
体内時計が狂い始める
厚い雲は低く
悪い知らせを言いたげに垂れ込める




仕事帰り夕日に向かって車を走らせる
目を見張る美しさで
視線を捉えて離さない魔力
オレンジと赤の間
ただ 直視出来る太陽なら
強いようで弱っている証




朝窓を開けて走ると 新しい朝の空気が生命力をくれる
新鮮な空気が車内いっぱいに入って来る
髪を軽く弄んでから
背中を押してくれる軽やかな風
車を止めると
風も止まり
気持も落ち着く




寒い日のあたたかい車内も素敵
熱いコーヒーを持ち込んで
注意深く飲みながら
上目遣いで窓の外を見る
外が荒れ模様なら 素敵
雪が降り始めたなら なお素敵




1人車を走らせていると
よく あのことを思い出す
そうすると突然堰を切って
大粒の涙がぼたぼたと あふれ出す
受け入れ難い現実に
自分を必死で押さえ込まないと
大きな声で叫んでしまいそうになる
呼吸は浅く
視界は曇る
なぜ急に視界が曇ったのかと目元に手をやると
たくさんの涙で濡れている事に
やっと気付く




でも
車は私を1人にしてくれて
大きな声で思い切り泣いても
いつも黙って受け入れてくれる


だから


ドライブが好きです
1人で車を走らせるのが好きです







呼び名






「雑草」と言う言葉があまり好きではない。


野に咲く花、草、樹木、果実、野菜、根、
すべてに美が潜んでいて、感動に値する。


今雑草と呼ばれている草花を雑草と呼ぼうと決めたのは
人間のエゴイズムだ。


作物を実らせる為、
気高いバラを愛でる為に、


周りに生える邪魔者を
「雑草」
というレッテルを貼って抜いて捨てる。


時には殺生はやむを得ないとしても、
私が特に引っかかっているのは、


「雑草」と言う呼び方だ。


そして、人間の
「雑草だから美しくない。」
と見もしないで決めつける、
心の狭さ。


一度近くで見てみると良い。


どんなに奇跡的な作りで、
どんなに美しいか。







貴方なら、 ここに、 何を当てはめる事が出来ますか?



"◯◯を育てて生きています。"


ある朝目覚めると、
自分が夢の中で、
誰かにそう話した記憶がふわりと残っていて、


"◯◯"の部分は忘れている。


大事な部分ではあるけれど、
ここにいろいろ当てはめると、
おもしろくもあり、
意外と深くもある。


貴方なら、
ここに、
何を当てはめる事が出来ますか?




   

気になる事



私は時々、とても暗い話を書く事がある。


そんな時いつも、


読んだ人が心配したら困るな。


と思う。


ここで、はっきりしておこう。


私は今、至って明るい人間です。


だから心配しないでね。


あくまでも、


フィクションです。


ストーリーです。


そして、人は誰でも、


暗い部分があっていいし、


そんなのが好きです。



快感



今日、
汗だくになって、
働きました。


仕事中は、
汗だく感を顔に出さないようにしているけれど、
とても暑かった。
というか、湿度が高かったので、
気温はそう高くないのだけれど、
それがかえって、服選びの失敗の元。
薄い長袖を着て出社してしまったのです。


白いシャツで、
見た目は涼しそうだったでしょうが、
私自身はhotに燃えていたのでした。
(うわお、なんかいやらしい。)


不快な湿度、
と言いたい所だけど、
そんな日は、
シャワーで汗を落とすのが最高で、
働いて、乾いた喉にビールを流し込むのと似ています。
だから、不快は不快として、
楽しめます。


がんばった後のご褒美が身にしみる、的な快感でしょうか。

北野武さんのあたたかい言葉



ずっと昔、何年も前、
北野武さんがぼそっと言っていた言葉で、
思い出すとじわっと心が温かくなる言葉。


「良く大人は子供に、何か夢や好きな事、得意な事を見つけて、
 それをのばせ。とか言うけど、何にも得意な事が無くたって
 良いんだって。何も無いから価値がないってことはないんだ。」


この言葉通りではない。
わたしの記憶も曖昧だけれど、
意味はこの通り。


大人は、子供の為を思って言う気持ももちろんあるけれど、
上手くやっている子供を見て、自分が安心したい、
と言う部分も多少はあるだろうと思う。


でも夢を見つけられない子供に取って、
この大人の言葉は少しずつ子供を追いつめるだろう。


「野球選手になりたいっていうと、
 お父さんもお母さんも喜ぶから、
 野球選手になりたい」












大人の私でさえ、北野武さんのその言葉を聞いた時
とてもホッとして力が上手く抜けた。


思春期の子供達に是非聞かせてあげたい言葉。


そのように力が抜けた時こそ、
のびのびと何かに向かって伸びて行き、
その先に何も無くても、


そこにいる自分を静かに認められる自分と、
横に友が一人居ればいい。






   

つぶやきたい心と、 enter key押せない身体。



最近どうしたことか、
twitterでつぶやけないんだ。


大好きなtwitterなのに、
自分から発信できないの。
言いたい事はあるのに。


個人的にリプライとか、全然平気だけど。
その人のTLと共通のフォロワーのTLにしか出ないから。
だから逆にRTはだめ。
TLに出ちゃうから。


ブログは平気だけど、
前のようにtwitterに「書きました〜♫」とか言えない。
 
tumblrはわりと平気。
で、tumblrで発信すると今まではtwitterにも流れたけど、
それはだめ。


これ、なんなの?なんなの?
わかんないよ〜


特に何があった訳でもないのに突然に。
5/8の夜いつものようにパソコン開けて、
つぶやこうと思ったら、
気持が重〜くなって来て、
それでも気にもせずにつぶやいて、
enter keyを押そうと思ったら、押せない。


押そうとすると、
手が固まる。
小指が「;」のポジションから離れない。


催眠術にかかったように。




入力しては削除、
入力しては削除、
入力しては削除、の繰り返し。


この変な精神構造、
なんですか?


つぶやきたい心と、
enter key押せない身体。


「ネット鬱」とか言う言葉もあるみたいだけど、
そう言う言葉に囚われるつもりもない。
それならそれでもいいし、
どちらでもいい。


とにかくtwiを入力するまではOKで、
enter keyを押す事「だけ」がとても怖いということです。
それ以外は至って元気。
いつものように人のtweetを読んで、
爆笑したり、くすくす笑ったり、
心配したり、感心したり、心の中でつっこんだりしてます。
実生活も、なんら変わりはない。
むしろこのへんな状況を、
俯瞰で興味津々にながめています。


人間っておもしろー。
へんなのー。






    




    

題名としての「夜のくもざる」


小説って、
題名、大事だなー。

そして、装丁デザイン。

これで、つい買っちゃうんだよね。


てことは、
私、文章書きの修行よりも、
題名職人目指して、
精進しなければ。
なんてね。


今日の朝、
「大人のマンガ、息苦しい描写」
と言う題名でブログ書いたら、
何故か閲覧者がポンッと増えた。

あでも、これは、純粋に題名に惹かれたのじゃなく、
たぶん「大人のマンガ」についついつられた、
邪心のある大人の方々のせいでしょう。

それにしても、
常々思っていたのですが、
村上春樹氏は、
題名の付け方も秀逸。
どこか品がある。

「夜のくもざる」とか、
良い題名だと思いませんか?



   

大人のマンガ、息苦しい描写



昨日本棚を整理した。


ここ暫く本に触ってなくて、
最近の私の本棚は、
作家さん別にも、色別にも、
高さ別にも揃えてなくて、
とにかくどんどん突っ込んでて、
タペストリーで半ば封印した状態だった。
それを昨日、
単行本、文庫本、作家さん別、
に揃えたのだ。


一番多い作家さん順位は、
村上春樹さん
宮尾登美子さん
③村上龍さん
④トリイ・ヘイデンさん
でした。


ひとつ失敗が発見されました。


村上春樹さんと安西水丸さんの
「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」が
3冊もありました。
この本って、何故か本屋さんで、
「あ、これ持ってない。」って思っちゃうんです。
持ってました。


余談ですが、
安西水丸さんの幻のマンガ、
「普通の人」好きです。
あれこそ、大人のマンガです。


ところで、本棚を片付けるきっかけは、
先日書いた「上品に収まっている」
というお話の最後に補足したとおり、
気になる過去に読んだ記憶のあるストーリーを、
本棚を片付けながら探す為です。


あった。
鈴木光司さんの「仄暗い水の底から」と言う本の
「漂流船」と言うお話でした。


そこで読んで強く残っていた
「不気味な貝」と言う要素と
「精神がゆっくりと狂って来る」という恐怖感が、
私に「上品に収まっている」を書かせたのだ。


まねと言われればそうですね。
そうかも知れません。
まあでも、雲泥の差ですから、
要素が似てるだけで、
中身は全然違いますから大丈夫です。
んー。鈴木光司さんの文章力の成せる技です。
影響受けちゃったのでしょう。


鈴木光司さんの
「息苦しい」描写が、素晴らしく息苦しいです!
「海に沈む森」の息苦しさと言ったら....