2011/05/04

日だまり



亡くなったおじいちゃんは、
寡黙でまじめで保守的、軍人あがり、痩せぎす。
普段はやさしさを表に出さず、
殆ど笑わないので、
一見氷の様相を呈している。


そのくせ私が悩んでいることについて、
いつのまに、話を聞いていて、
手短に解決策を言って来る。


それもたいがい、
熟考のすえに、控えめに提案して来る。
「ユリ、おじいちゃん考えたんだけども、
 あの件はこうすればいいんじゃないかと思うんだけども、
 どうかね?」




おじいちゃんの口癖のような、
決まりきったいつものセリフを、
今ここで記してみたら、
なんだか涙が出そうになりました。




おじいちゃんは、
みんなが問題点をああでもないこうでもないと、
かしましく語り、話がそれて、
ちっとも解決しない間に、


陽のあたる自室のデスクで、あるいは
慈しむ鯉の為に自分で作った池の前のテラスで、
鯉を眺めながら1人静かに考えて、
また、手仕事が好きだったので、作業の合間や、
書き物の途中にもふと考え、
考えたすえに、小さな声で優しく言って来るのだ。
決して、考えを押し付けない。
自分が正しいとは思わない。
そんな提言。


いつも、おじいちゃんの助言に、
ふわっとした春風が髪を軽やかに揺らすような、
やさしい目覚めのような気持を抱いた物だ。
そして、おじいちゃん、考えていてくれたんだ、
と、ちいさな驚き。


そして、
おじいちゃんを思い出す今も、
とてもおだやかで、清々しい気持になれる。


たまに見せてくれる、おじいちゃんの笑顔。
私にだけみせる、
私をかわいいと思ってくれている、
日だまりのような笑顔。


よく、亡くなった人のことを、
「心の中に生き続ける」などといいますが、
正におじいちゃんは、
今ここにいる。
私のこころの中で、穏やかに笑顔をみせてくれています。
日だまりのような笑顔を。




   

0 件のコメント:

コメントを投稿