2011/01/19

人生の喜びと映画の批評について



映画が好きです。


映画館にはほとんど行きません。
映画館で観るのも好きだし、
その良さもわかってはいますが、
自宅でリラックスして観るのが好き。


ソファで寝転んでもいい。
音響や画像にはこだわらないし、
他人に気を遣う事無く集中して観たいから、
自宅で十分。
愛する人と見れば膝枕して鑑賞してもとがめられずに、
映画を観る時間そのものが人生の喜びにもなるでしょう。


集中してのめり込むと、
すごい音響や目のくらむような美しい画像じゃなくても、
心に刺さって来る。
近頃の家庭用テレビは画面も音もそこそこ良いし。
また昔の映画で音や画面が悪くても、
それがいい雰囲気を出す時もあります。


さて映画の批評ですが、
私は自分の観た映画の話は
いっさいしません。
求められればよろこんで話しますが、
こちらから内容について話す事はしない。
「良かった」「良く無かった」も
言いません。


何故ならその感想を聞いた人は
それによって先入観が生まれ、
期待したり落胆したりすることによって、
映画をまっすぐに観れなくなるから。
落胆はまだいい。
落胆しながら観ると
「意外と良かった」となるから。
でも、落胆すれば「じゃあ、観ない」と言う事にもなります。
では聞かれた時どうするかと言うと、
「まあまあなのかな?」とか「いいんじゃない、見てみれば」とか
「どうかな?好きかな〜?」とか計算しながら答えています。


映画の評論のお仕事をする人が
テレビで内容を喋ったり、
ここが良かった、そこはよく見て欲しい、
などと語りかけて来ると、
私はいつも「それ以上言わないで」と思ってしまいます。
その人達はそれがお仕事なのだけれど。


予告編のあしらい方はもう慣れました。
右から左へと聞き流す。
派手なCGや、大きな謎をにおわせる言葉は
やりすごし、軽く見るにとどめる。


もちろん内容や善し悪しを把握してから観たい人もいるでしょうが、


私は真っ白な自分の中にストーリーを入れて行きたい。
全身で映画を受け入れ、楽しみたい。
映画を作った人達の魂の結晶を余す所無く受け止めたい。
そしてその喜びを知っているから、
人にもあじわって欲しいから、
私は人に映画の批評を聞かせたく無いのです。

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