2011/01/20

犠牲と喜びのバランスについて

ダイエットのこつは、
「一生続けられる内容にする事」だって。
すごく賛成。


適当な気持ちでだらっと出来る、
その程度がいいのかも。
「あ〜そうだ、忘れてた。やろっかな〜」


毎日の計画もたまにはさぼっちゃう。
でもこれに関しては
サボリ癖のつかない自信のある時だけさぼって良い。
さぼった次の日はどんなにきつくても、
インフルエンザでも、
お葬式でもやる!って言う感じで。


私の場合、
一日30分の筋トレと、
食事のゆるいコントロール。


3食を軽めに身体にいいものを、
カロリーも適当(←ポイント)に計算して、
まいっかこのぐらいは、って言う時もある。


せっかく勧められて、
かたくなにことわるのも、
人の親切に対して悪いし。
適当に計算してるから、
「これをありがたく頂いて、後であれをやめとこう」とか
だいたい把握している。


すんごく危険な食べ物は
飛びつかないでしばらくやり過ごす。
「落ち着いて。どうせ手に入る。時間が経てば必要ない事に気付くかも。」


みんながわ〜っとケーキに群がっている時、
飛びつかない自分を楽しむ。
「いいよ♥好きなの先に選んでね。なくなってもいいよ♪」ひゅ〜☆
ケーキを食べるみんなのしあわせそうな表情を楽しむ。


そのうち脳も私の思い通りに働いてくれて、
外食の時などつぎつぎに出て来るご馳走を
今までは一通り食べなくてはいけない強迫観念にかられて
残さず食べていたけれど、
今は
「これは美味しそうで食べたい気がするけど、
 本当に、本当に食べたい?ん〜、そうでもないな。」と、
冷静な自分の本当の欲求がわかるようになる。


いつもおなかをすかせている訳じゃない。
合間にウィダーインゼリーとか野菜ジュースとか、
ナッツやチョコを少し、ゆっくり齧ったり、
むしろ以前より落ち着いた食生活を送ってる。


そして食べる量が極端に減ったにも関わらず、
体調は明らかに良くなっている。
疲れも殆ど感じず、
階段も毎日何度も上り下りしても少しの息切れもない。
立ちくらみもなくなり、
健康そのものだ。


がんばれば報われるけど、
がんばり過ぎない事が大事。
犠牲を払うとき、
それが犠牲と感じない程度にとどめたい。
犠牲が喜びに変わって行ける程度に。




補足:iPhoneアプリのトレーニングやランニングの結果を   
   twitterでつぶやく人もどんどん増えて来てる。
   それを見ると励みになって、
   「あ、そうだ私もやろう。」ってなる時がある。
   「先を越された〜」とか、
   「あれ?私はもう済んだよ〜」とか楽しい。

0 件のコメント:

コメントを投稿