2011/01/26

私にこの人生をくれた人へ

小説家には書けない時期があると聞きます。
小説家を職業としていれば、
それはプレッシャーでもあり、
苦しくもどかしい事ではないでしょうか。


こんな私でも書けない時期がありました。
それは昨日です。
偉大な小説家にしてみれば、
鼻で笑うような事ですが、
昨日は参りました。


いつもはすぐ糸の端がひょこっと飛び出して、
それを引っ張るとするするとお話が湧いて出て来るのですが、
昨日は書きたい書きたいと思えども、
何も出てこない。


あげくの果てに、今までevernoteに書き貯めてある在庫を
1つ引っ張り出して来て
修正しながらさんざん書いてから、
「やっぱり今ここに載せる話じゃない」と感じ、
いろいろ悩んでいる間に、
キーボードに手を置いたまま寝てしまいました。


昨日は身体が疲れていましたが、
書けないのはそのせいでしょうか?
でも何かのせいにして自分で限界を作るのはいやです。
それに疲れていると、
神経が研ぎすまされる事もあるので、
疲労のせいでは無いと思うし。


とにかく、書けない。
それでいい、と開き直り、
今朝新たな気持ちで、パソコンに向かってみた。
でもやっぱり、書けない。
こんなに書きたいのに。
私の中は空っぽに近い。


そして休日の2度寝はしたく無い方なのですが、
どうにも体調が優れず、
どうせ書けないし、
思い切ってベッドに入りました。
数秒で眠りに落ち、
こんこんと眠り続け、
目覚めた時私は
「書ける私」になっていました。


すぐにベッドの上で膝にパソコンを乗せて
一気に書きました。


長い髪を風になびかせて走る心地よさ。
暑い夏の日美しいプールで魚になって泳ぐ心地よさ。
他の車がいない初夏の並木道で少しスピードを上げてみる心地よさ。
そんなイメージに包まれて
一気に書いた。
それが先の「とりとめのない話」です。


そして小説家になると言う事は、
書けないつらさを本格的に経験する事を受け入れる覚悟をする、
と言う事なのだと今日思った。



私にこの人生をくれたたくさんの人達、
ありがとう。

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