2011/03/01

ハートの風船の爆心地で。



[裕二の場合]


毎朝スーツの身なりも良く颯爽と通勤する裕二。
いつも近所のビルのガラス窓にうつる自分を、
ちらっとチェックして足早に通り過ぎる。


今日は休日出勤で、電車はいつもよりすいていた。
ふと見ると白いワンピースを着た女性が、
床を見回して必死に何かを探しているようだった。


気のいい裕二は気になって、自分も周りを見回してみた。
すると裕二の足下にちいさな指輪が光っていた。


さっと拾って彼女に声をかけた。
「これお探しじゃないですか?」


すると目を上げた彼女は一瞬驚いた表情の後、
ほっとしたように微笑み、
目にはじわっと光るもの。


裕二を見上げて嬉しそうに言った。
「ありがとうございます!おばあちゃんの形見なんです。
とてもたすかりました。良かった。」
そして少しはにかむ笑顔。


2人を見た者は、
まるでプロポーズで、
指輪をはめる瞬間のように見えただろう。


その時、電車の窓の外、彼女の後ろに、
大量の赤いハート型の風船が一斉に飛び立った。


ちょうどそれは、
裕二が恋に落ちた合図のようだった。








[拓郎の場合]


拓郎は気が気ではなかった。


妻の出産が思いのほか長引き、
昨日生まれる予定だったのが生まれずに、
「ご主人今日はお帰りになって大丈夫ですよ。
 なにかあったら、ご連絡しますから。」
追い出されるように婦長にそう言われて、
昨夜1人で帰宅。


なかなか寝付けないまま朝を迎え、
やり残している仕事が気になり、
取りあえず会社に向かっている。


ゆうべの妻のつらそうな様子、
医者が首をかしげ、
ナース同士が耳打ちしているのを思い出すと、
不安がよぎる。


会社なんか行ってる場合か?
病院へ行ってあいつの側に居てやるべきじゃないのか?


そんな不安の中の信号待ち。
直進車線。
このまままっすぐ行くと会社だ。
病院は右。
そう思ってふと右を見ると、
空に大量の真っ赤なハートの風船が登って行くのが見えた。


はっとして、拓郎は思った。
「病院に行こう。父親になるんだ。会社より大事じゃないか。」
右車線になかば強引に入り、
拓郎は病院へと向かった。








[義樹の場合]


義樹はプログラマー。


働き盛りではあるものの、
毎日深夜に及ぶ激務に、辟易している。


会社のやり方にも疑問を持ちつつ、
今は現状維持で、耐えている。


なぜなら、さくらとの将来を真剣に考えているから。


もう、自分1人の考えで自由に会社を渡り歩く事に
抵抗が出て来た。
さくらも仕事のことやいろいろな事、
何でも義樹に相談してくれる。
2人でまじめに育てて来たこの関係。


仕事でなかなか思うように逢えない事に対して、
文句ひとつ言わないさくら。
逢えば義樹を気遣ってくれる。


今日義樹はさくらにプロポーズするつもりだった。
仕事の合間を縫って段取りもしていた。
さくらは喜んでくれるだろうか?


ところが、急な仕事が入った。
いつもの事だ。
午後から出向かないとならない。


さくらがイベントで忙しいのを知っている義樹は、
電話やメールではなく、
自転車でさくらの仕事場まで様子を見に行く事にした。
義樹の住まいから近いのだ。


途中で、さくらの好きなドーナツを買って行く。
「わあ!」っと顔を輝かせるであろうさくらを想像すると、
義樹の方が嬉しくなる。


久しぶりの休日、空は青く風が心地よかった。
街路樹も緑に輝いている。
都会は意外に緑が多く、整備されているので美しい。


義樹は、まるで2人の未来を祝福しているような街の美しさと、
仕事から離れての開放感を久しぶりに味わっていた。


ふとさくらの店の方を見ると、
赤いハート型の風船が大量に空に登って行くのが見えた。


「イベントはこっちじゃなくて新店舗でやるんだよな?
 きれいだな、なんだろう?」


義樹はいそいでその場に近づいて行った。




[さくらの場合]


さくらはショップのイベントで、
朝からばたばたと走り回っていた。


なんでも良く気がつくさくらは、
人より早く細かい事に気付き、
さっと動いて処理してしまうので、
いつも1人で走り回る事になるのだ。


でもそういう時さくらはとても生き生きと動き回る。
忙しいと燃えるタイプなのだ。


今夜仕事がすんだら、
久しぶりに義樹と食事に行く予定なので、
さくらは嬉しくて、
いつも以上にくるくると動き回っていた。


今日は近くにオープンする支店でのイベントの手伝いが忙しい。
もう支店には開店を待つ人が並んで待っている。


ふと見るとイベントのオープニングで使うはずの赤いハートの風船が、
まだここにある。


「え?どうしてここにあるの?」


時計を見るとイベント開始まであと少し。


「持って行かなきゃ!」


さくらはあわてて、
台車に乗ったガスボンベや
これから膨らませないといけない大量のふうせんや、リボン、
そして、
すでに膨らませてあるたくさんの風船を両手いっぱいに持って、
運んだ。


通りを横切ろうと、重い台車を慌てて押していたので、
ちいさな女の子がハートの風船めがけて走って来たのに気付いて、
懸命に台車を止めようとしても思うように止まらず、
周りの「あぶない!」の叫び声とともに、
台車に乗せてあったガスボンベは鈍い音をたてて転げ落ち、
風船やリボンは道路に散乱。
ころんださくらはハートの風船を手放してしまい、
とっさに女の子を見るとぺたりと座りこんでうつむいている。


さくらが女の子に「だいじょうぶ?!」と話しかけようとしたその時、
急に心臓がドキドキして来て、息苦しくなり、声が出ない。


ーしまった。心臓が。ー


持病のあるさくらは突然胸を押さえ、
倒れてしまった。
心臓に負担をかける事は、
さくらにとっては有ってはならない事。


周りの人はちいさな女の子の方への気遣いでそちらに集まっている。


倒れたさくらに数人が駆け寄った時には、
すでに遅かった。


くうを見つめるさくらの目に最後に写ったのは、
解放されて真っ青な空に帰って行く、
たくさんの赤いハートの風船。


ーわあ、きれい。ー


そして、義樹が自分をを呼ぶ声が聞こえたような気がした。


  

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